【日向鉱山跡 廃墟トレッキングレポ】ずっと行きかった…70年越しの夢が実現
2年目となった日向鉱山跡 廃墟トレッキングは、今年も満員!
荒れ果てた栗山遺産を目指し、ちょっと長めの冒険に行ってきました。
…そして今回は予想以上にドラマチックな展開に。
70年越しの夢!「子供の頃からずっと行きかった」参加者2人
まずおさらいですが、日向鉱山跡は地元でも行った人があまりいません。
(感覚的には50人もいないように思います、違ったらスミマセン)
たとえば地元の20〜30代の若者に聞いたときは「は!?」の反応。
学校で教わることもないし、ほとんどの人が存在すら知らない状況です。
ずっと行きたかった参加者①
そんな日向鉱山跡に、驚くべき参加者が。
なんと「おじいちゃんが日向鉱山で働いたことがある」というのです。
おじいちゃんは(銅などをほりほりする鉱夫ではなく)大工さんで、おそらく学校などを作るために通ったのでは?とのこと。
ちなみに学校は1945年に完成予定でしたが、終戦によって日向鉱山が閉ざされたため「未完の学校」でした。
さらに1枚の写真を見せてもらいました。
それは子供の頃「おじいちゃんたちと撮った写真」でした。
現地で持っていき、日向鉱山跡でおじいちゃんに報告するとのこと。
昭和17年撮影。
おじいちゃんの服には「日向鉱業所」の文字。
これはすごすぎる。。
物心がついてからは日向鉱山に行ったことがなかったそうです。
閉山後にたいへんな思いをして行く機会はなかったのでしょう。
「(日向鉱山は)70年くらい前におじいちゃんから話にきいているだけでした。ずっと行きたかった夢が実現できてよかった」。
ドラマチックな瞬間に立ち会えて感激。
…で、話はこれだけではないです。
もう1人。
ずっと行きたかった参加者②
なんと「幼いころ、日向鉱山の近くに住んでいた」というのです。
でも、日向鉱山には行ったはありませんでした。
「幼いころ近くに住んでいながら見たことがなかった日向鉱山と、住んでいたふるさとをもう一度確認したい」と、今回参加。
残念ながら今回のトレッキングルートでは、住んでいたところは通らなかったようです。
でも70年ぶりくらいにふるさとに行けて、また念願の日向鉱山を見ることができて満足そうでした。
こわれてしまったシンボル
1番大きかった遺産が倒れてしまっていました。
去年まではちゃんと立っていたのに。
これが去年の写真。
掘削(くっさく)機。
(銅などが含まれていそうな)大きな鉱石を細かくくだく道具だと思います。
とても残念です。
ちなみに、また数年前の大雪でほぼそのまま残っていた学校跡も半壊してしまいました。
閉山から70年以上たった今でも、毎年のように変化のある栗山遺産でした。
70年越しの夢に、壊れてしまったシンボル。
参加者のみなさんと、ドラマチックな旅を楽しみました。
おわりに…
遺産がどんどんなくなる中で、ガイドさんも「いつまでこのツアーができるかわからない」と話されていました。
ツアーが企画される前は、一般の人が行くのはほぼ無理でした。
そもそも行こうと思う人がいなかったですが。
企画があることで、1年に1回でも興味ある人が栗山の大切な歴史に思いを馳せることができます。
遺産の復活は無理でも、そんな思いをできる限り長く維持することはできそうです。
栗山ツアーでは日向鉱山に限らず、西沢金山跡・獅子舞・石焼きなど、歴史を語る大切な資源を体験できる機会があります。
こういった企画をこれからも楽しく続けていきます。
事務局 アオヤマ
ガイド
ネイチャープラネット